アニマル5

 大学時代後半のバイトは,「アニマル5」というぬいぐるみバンドだった。
イヌ,ネコ,ネズミ,パンダ?,,,ともう一つは思い出せないが,ともかく5匹の動物(のぬいぐるみ)がバンド演奏をして,歌のおねえさんと一緒にステージにたつという代物だった。自分はネコのラッキー君だった。バブル経済真っ盛りの80年代後半だったから,九州各地の子ども関係のイベントに出演して,1回で10,000円という,当時は割りのよいバイトであった。名古屋で言えば,「近藤産興」という深夜のコマーシャルがあるが,あれがまさに80年代のイベントの雰囲気である。

 ぬいぐるみを着るときの格好は,蝶ネクタイにピンクのシャツに,赤のオーバーオールのズボン。靴は,特大メロンパンのようなふわふわのもので,手だけはそのまま(そうでないと楽器が弾けない!)。しかし,極めつけは,頭にかぶるぬいぐるみの頭である。ぬいぐるみの頭は肩幅くらいあるので,まずやたら重く,下手にお辞儀をしようものなら,すっぽりと抜け落ちてしまうので気を付けないといけない。しかも夏は暑くて汗だくになり,空気も薄く息苦しい。おまけに最大の問題は,ギターの手元がほとんど見えないことである。ぬいぐるみの頭には,一応,目があるのだが,そこからは外は見えず,口にあたる部分が人間の目にあたる。しかし,その穴は非常に小さく,自分の前方の床が1メートル四方しか見えないという始末。最初にこの格好でステージに立ったときは,軽いパニックになってしまった。おまけにギターを弾くには,左手側が全部見えないとダメなのだが,ギターのネック(左手で持つところ)のヘッド(端)から30センチは何も見えない。したがって勘だけが頼りになる。最初の音を出すときは,しばしば2フレット(全音)ほど間違って,自分だけ違う音を出すことがしばしばあったが,これは他のメンバーも同じことだった。しかし,奇妙なことに,そのうちに見ないでも弾けるようになるのは,訓練のなせる技である。メンバーのソロ回しもあり,自分は,メタル仕込みの早弾きギターで,ギュイーンという感じで調子良かった。バンドでプロになる夢はあきらめていたので,人前で弾けることが,結構,嬉しかったのである。

 このアニマル5では,いろんな所に行った。

 覚えているだけで,福岡市を拠点に,山口市,鹿児島の指宿市,熊本県八代市などなどである。

 一番恥ずかしかったのが,福岡は天神地区(最大の繁華街)で行われたイベントである。市内だったので,バンドの友人がみんなからかいに見に来たのである。アニマル5には,テーマソングに合わせた体操があり,ぬいぐるみを来たまま,子ども達がマネするように,大げさに体操をしなくてはならない。「はーい,両手を肩にもってきて,ぐいーっと上に」という風に,歌のおねえさんが言うと,その通りに体操しなければならない。後で,「ネコのラッキー君だけ,恥ずかしがってたぞ!」と友達に笑われ,なんとも立つ瀬がなかった。熊本県八代市の港まつりの時には,「見に来んで〜」と言ったのに,八代の実家の両親が見に来る始末で,メンバーにはさんざんからかわれた。

 歌のレパートリーも恥ずかしかった。「ひみつのあっこちゃん」,「ドラゴンボール」,「セイント聖也」など,つまりは子どもが見るアニメの主題歌がメインである。しかし,色々な発見もあった。ドラゴンボールのイントロは,ハードロック調でなかなか格好良いのである。なるほどアニメ主題歌でも,音楽とはこういうものかと勉強できた。また,「ひみつのあっこちゃん」は,指導教官のおうちにお邪魔した時に,そこの当時まだ小学生のお嬢ちゃんにせがまれて,少しだけ弾いて見せたら,やたらと人気者になれた。なるほど,子ども心はこうして買収するものかと勉強になった。

 イベント会場の子ども達も可愛かった。覚えているのは,ショーが終わって,ぬいぐるみのままたくさんの「お友達」と握手をしていたら,その中の一人が,「本当は中に人間が入っとるんでしょ〜」とおずおずしながら言う姿である。「あたりまえだ!」と言いたかったが,顔は真剣そのもので,本当は「人間なんか入っていないよ〜」と言って欲しそうな顔だったようだ。なんだかおかしくて笑ってしまった。中には,やたらとキックをお見舞いしてくる悪ガキもいたが。

 いろんな人とも知り合いになれた。多くの気さくな先輩たちと知り合いになれたことも大きい。どちらかというと中途半端に参加していた自分とは違い,お金をもらう以上は,プロのように練習しなくては,という先輩からは,仕事のなんたるかを学べた気がした。ショービジネスというものの裏側についてほんの少しだけ,垣間見る事も出来た。実は,このアニマル5を,もっと本格的な商業ベースに乗せようという話もあったようで,イベント会社直属の歌のおねえさんは,かなり本気だったらしい。しかし,アニマル5には,バブル経済の崩壊とともにだんだん仕事が来なくなり,自分も大学院進学で忙しくなるなかで,いつの間にか辞めてしまった。