クラシックを聴きはじめた!
音楽と言えば「ロック」が全てだった。そんな元「ロック少年」が,恐る恐るクラシックを聴き始めた。
2003年のイギリス在外研究中のことである。ハイストリートの電気店で,フィリップスの小型ラジオ(下図参照)が目にとまった。手回しダイナモ(発電機)式で,電池がなくても,グルグルとハンドルをまわせば動くらしい。ちょうど,ラジオ番組の質の高さに関心していた頃でもあった。まさにこれはエコロジー&スローライフの象徴的グッズではないか,とすかざす購入した。
たかが「モノ」である。しかし,人生にちょっとした影響を与えてくれるのもあるようだ。以後,休みの日には,リュックに入れて,どこにでも持って歩いた。音質も悪くなく,カントリーサイドでも電波がしっかり受信できる。そして次第にロックよりもクラシックにはまりこんでいくキッカケを作ってくれた。緑にあふれる田園風景には,クラシックの音色が,ぴったりとくるのだ。天気の良い緑の草原の中で聞くクラシックには怒濤のような感激と癒し効果があると思う。
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なかでも,最高の瞬間がある。オープン・ガーデン(注:個人のガーデンを一定期間だけ公開するイベント)で,デヴォンの奥のとある大邸宅を訪れた時のこと。まさにカントリーライフの神髄ともいうべき良く手入れされた庭園をあるきながら,池の縁の木製ベンチに腰を下ろした。目の前には,緑の大芝生,水鳥の池,向こうには白亜の邸宅と印象派の絵のようなイングリッシュガーデンという光景がひろがっている。そしてラジオから流れるシューマンの穏やかな旋律に,頭のてっぺんからつま先までがふわふわとした感触に包まれた。と同時に,まるで体中から鉛のような物質がすーーっと溶け出していく。NHKの「名曲アルバム」はTVだけの世界だと思っていたら,こういうことだったのかと納得した。
考えてみれば,イギリスでラジオ放送が始まったのが1926年(BBC設立)。アールデコと電化と流線型の時代のイギリスでは,多くの家庭が,ガーデンにラジオを持ち出して,ラジオに耳を傾けたことだろう。わざわざコンサートホールまで足を運ばなくとも,家に居ながらにして,庶民にも良質の音楽が気軽に楽しめるようになったわけである。カーライルやラスキンも,生きていればさぞかし喜んだであろう贅沢な時代の始まりである。実際,BBCにも,ラスキンらの思想を汲んで,「ハイ・カルチャー」で大衆教育をしようとする向きもあったようだ。なるほど,そういう思惑もあったのかもしれない。いずれにせよ,クラシック音楽が,大衆の日常生活に彩りを与え始める,つまりポップ・ミュージックになっていくのである。音楽とは,元来,こうあるべきなのか,,,,,
,,,日本に帰り,忙しい日常にもみくちゃにされていくうち,自分がそういう時間を過ごしたことさえ忘れてしまっていた。果たしてそういう甘美な世界が,この世に存在するのだろうか,自分は夢でも見ていたのではないか,と頬をつねっている自分が,ここでは圧倒的にリアルなのである。
しかしやはり,それはそこにあった。
2004年の春に,短期間ロンドンを訪問した時のことである。もちろん,フィリップスの手回しラジオを持って行った。LSEでの資料収集がメインの忙しい旅だったが,夜のわずかな休息時間が,ラジオ鑑賞の時間になった。そして,それは,そこにあった。ラジオの向こうから怒濤のように流れてくる「良い音楽」が。元来,クラシックとは難解なもの。しかし,そのラジオから流れてくるクラシックは,どれも親しみ易く,どこかで耳にしたような旋律にあふれている。バルトークのような前衛的で難解な曲は少ない。バッハ,モーツアルト,シューベルト,ワーグナー,シューマン,マーラーなどの,聞きやすい箇所がピックアップされ,放送されている。クラシックなのに,ポップなのである。そもそも彼らは,夜が早い。夜11時になると,めっきり外では人を見なくなる。彼らの家好きは有名だが,家で何をしているのだろう。そうか,彼らの幾人かは,こうして,ひっそりと音楽を聴いていたのか,と。
帰国して,俄然,クラシックを聞き始めた。まずは,日本の周波数バンドに合わせた,ソニーの手回しラジオを購入する。これで,天気の良い日に外でクラシック番組を聴けば,エコロジー&スローライフを手に入れたも同然だ。おまけに,こいつは音が良いときた。
しかし,である。 土日を除いて,ラジオでポップ・クラシックをあまり放送していないのだ。しかも平日は,DJのおしゃべりが長い。つまり,そういうことなのだ。日本ではラジオは第一に情報媒体であり,音楽媒体ではないのである。とすれば,クラシック知識は自分で探すしかない。CDショップで,たくさん買って,勘をたよりに,自分の好きな音楽にたどり着くしかない。クラシックにも「ジャケ買い」は通用するのだろうか?
2005年の夏のことである。そうこうするうちに,頼もしい情報源を見つけ出すことができた。クラシックFMというイギリスの番組をインターネットで聴けるのである(注;現在は正規のZIP
CODEの入力を求められる)。8時間の時差はあるものの,これには助かった。リアルタイムで文字情報で曲名紹介をしてくれるのである。しかも,クリックすれば,そのCD購入情報までがしっかり揃っている。なるほど,そういうことか。イギリスで,何年も前のロックも,息の長いCDセールスが保たれているというが,同じことがクラシックにも当てはまるというわけだ。つまりクラシック入門者でも,好みにすばやくたどり着けるという,リスナー主体のマーケティングが確立しているのである。
これからの日本の音楽業界も見習っていくことになろう。ちょっと前,イギリスのラジオ曲が,James
Plant
のヒット曲を,「ヘヴィーローテーションから外す」という宣言をした,と話題になっていた。なにもそこまで,と思ったが,音楽業界からの販売促進で,特定の曲を一定回数ラジオで流すようラジオ局に圧力があるのは,どの国も同じらしい。だが,リスナーの耳が肥えていれば,くどい販促はラジオ局にはマイナスというわけである。つい最近の日本で言うと,愛知万博の時に,長久手会場に臨時創設されたFM曲が,80年代,90年代の良い曲をたくさんかけてくれた。これは良かった。おかげで,本当に楽しい思いをさせてもらった。ちょい古くても,良い曲はたくさんある。確かに販促を考えれば,古い曲が売れても,レコード会社には利ざやは少ない。しかし,レコード会社が売りたい曲と,リスナーが聞きたい曲は,えてして食い違う。経済学者ガルブレイスの「依存効果」を持ち出すまでもなく,頻繁なモデルチェンジとファッション戦略でも音楽は売れる。しかし,,という話しなのである。
さて,クラシックFMという膨大な情報源のおかげで,たくさんの作曲家の聞き所が少しずつ分かってきた。
なんといっても,モーツアルトは良い。大学院時代の指導教官の一人が,研究室にオーディオ一式とモーツアルトCDを常備しているほど「通」の先生だったので,いつかは聴いてみようと思っており,それを実行することが出来た。
それにしても,曲の多いのには驚いた。さしあたって,廉価版のアイネクライネ・ナハトムジークから入門した。イ・ムジチのディヴェルティメントは,モーツアルト特有の明るさが良く出ていて,気に入った。母にも送ったほどである。寝る前のリラックス音楽には,ピアノ曲が良い。ピリスのピアノ・ソナタを1枚,1枚,買っていき,5集全部集めた。これを枕元で,小さくして聴くと,5分で眠れてしまうし,眠りも深い。ピリスのピアノは,いかにもフランス人というところだろうか。パッションとこれを抑制するようなテクニックの両方が備わっており,聞き飽きない。彼女のピアノに触発されて,カワイの電子ピアノを買ってしまったほどである。目下,ロック式の「我流」(つまり左手はコード中心)で練習中。目下の課題曲は,ショパンのノクターンである。これも悪しきロック式の影響で,暗譜できるるのだが,一度に一曲しか覚えられない。クラシックは本能だけでは克服できない,なかなか手強い音楽のようだ。
そして,最近のお気に入りが,マーラーである。以下は,立て続けに買ったCDと素人の感想である。感想はやはり刻々と変化する。随時,書き直していくつもりだ。
1番 ブルーノ・ワルター,コロムビア交響楽団,1961年録音
1番は,インバルのものとで2枚。実は,訳も分からず最初に買ったCD。しばらく良さが分からず放置していた。インバルと聞き比べれば,マーラーの直弟子ワルターの重厚な演奏が深みを持っているようだ。朝霧のかかったような第一楽章が心地よい。このCDは聞き込むほどに,良さが分かってくる。一つ一つの音が,丸く暖かみがある。録音が1961年というから,同時代で言えば,ビートルズがまだキャヴァン・クラブで演奏していた頃(デビューシングルのラブミードゥが1962年)。つまり,ロック界では,音源がまだまだヘボかった時代に,「360度ステレオ」となっていて,サラウンドで聴けるようだ。
1番 インバル,フランクフルト放送交響楽団,1985年録音
こちらは,マーラーにはまりだしてから,5番の次に買ったもの。インバルのマーラーは,淡々としており,モノクロームで抑制された感じが良い。全体的に音量レベルが低く,ラジカセで聞くには不向きのようだ。
1番 バーンスタイン,コンセルトヘボウ交響楽団,1987年録音
バーンスタインのマーラーで最初に聴いた。音が文句なしで美しい。最初はテンポがややゆったりに聞こえるが,緩急もある。じっくり聞き込んでいこう。
2番 テンシュテット,ロンドン交響楽団,1981年録音
1番と3番の間に挟まれているわりには,難解な感じがする。3番のテンシュテットが気に入り,買ってしまった。最初に聴いた時は,うるさい感じがしたが,3回ほど聴くと,徐々に良さが分かってきたような気がする。もっと聞き込んでみよう。
3番 テンシュテッド,ロンドン交響楽団,1979年録音
2枚組。ものすごく「良い」。マーラーの交響曲で最高ではないだろうか。テンシュテットの指揮は,音に厚みがある。第二楽章の甘美なメロディー,最終楽章の和んだ音は,マーラーの真骨頂というところ。テンシュテットのマーラーは,実は,なかなかなもののようだ。CDで聴くのに適しているというか,音が大胆でかつ繊細。ハモリがものすごく美しい。
4番 バーンスタイン,コンセルトヘボウ交響楽団,1987年録音
最初に聴いた4番。4番はあまり有名ではないが,3番,6番のようなゆったりした感じがある。マーラーの美しい旋律が好きな自分には,かなり良いかもしれない。しかもバーンスタインは音が美しい。これもゆっくり聞き込んで行きたい。最近の一番のお気に入りである。森林公園でも昼寝しながら聴いて,やはり感動した。
5番 ガッティ,ロイヤルフィルハーモニー交響楽団,1998年録音
第4楽章「アダージョ」が聴きたくて,ジャケ買いしたマーラー5番。モノクロームなジャケットから想像できるように,シンプルな音。カラヤンのアダージョ集の第4楽章とは,対局にあるような演奏だ。今っぽい音で,癒しがある。第4楽章を聴いて,どのような風景を想像するだろうか。自分は,朝霧に包まれた,夏の森の中の泉を想像するのだが。森林公園の芝生で寝転がりながら「轟音」で聴けば,この世の楽園である。マーラーで最初に聴くならこれだろう。
6番 インバル,フランクフルト放送交響楽団,1986年録音
インバルの抑制された音が良いが,反面で存在感がやや薄いか。ブラスの咆哮と弦の鳴きとの共振というか,マーラーの味わいが非常に良く出ている曲だと思う。じっくり聞き込もう。
6番 バーンスタイン,ウィーン・フィルハーモニー交響楽団,1988年録音
しばらくは,3番との違いがあまりわからなかったが,バーンスタインの6番を,ずっと聴くうちに,いろいろメロディが分かってきた。第一楽章は,スターウォーズのダースベーダーテーマのように始まり,徐々に,さわやかなメロディが混じっていく。ドンジャンドンジャンもなぜかうるさく感じないのは,さすがにまったりしたバーンスタインならではの味付けか。
8番 小澤征爾,ボストン交響楽団,1980年録音
小澤征爾のマーラー。音が意図的にすれすれというか,「生きた」感じのするマーラーである。あとチョイで不協和音というギリギリの音律が,スリルを感じさせる。ここまで追い込んだ音を作れるとは,すごい指揮者である。ちなみに,小沢健二は昔からのファンでもある。
9番 バルビローリ,ベルリン交響楽団,1964年
マーラーの中で,一番,難解というか,まだ良さが分からない。マーラーの中の狂気が一番出ている曲のようだが,それだけに難しい。じっくり聞き込んでいこう。
9番 ベルティーニ,ケルン放送交響楽団,1991年
もっとも難解と思われた9番が,このように美しいのには驚いた。一つ一つの音のハーモニーを優先して,リズムのうねりが出来ているような感触がある。飽きの来ない一枚である。
ブラームスも良いと思い出した。
1番 テンシュテット,ロンドン交響楽団,1985年録音
いやいや,なかなか,良い。第2楽章と第4楽章がとくに良い。学生時代に一度聴いたことがあり,ベートーベンの10番という俗称に敬遠していたが,第4楽章のメロディーは特に美しい。テンシュテットはあまり有名ではないようだが,自分は気に入っている。
2番 ノリントン,ロンドン・クラシック・プレイヤーズ,1992年録音
なんでも昔の楽器をそのまま再現したもののよう。マニアックなCDかと思いきや,なかなかどうして歌心があるではないか。ブラームスの「田園」と言われているようだが,あまり関係ないようでむしろ好感がもてる。じっくり聞き込んでみたい。
3番
5番 インバル,フランクフルト放送交響楽団